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臆病者が正直になるのは誰のため?

 ――St. Valentine’s day!!

おはようございます。珍しく朝から更新です。

バレンタインとかすっかり忘れてました。バイトです。理由は特にないはずなんですけど、イベント事から年々縁遠くなってるんですよね。毎日が平坦。

でも、今日は! 突貫ですが! バレンタインに読む、きゅんとする本――か、どうかはちょっと怪しいのですが――の感想をしたいと! 思います!!!

エクスクラメーションマークの多さは決意の表れですので悪しからず。

『魔法使いハウルと火の悪魔:ハウルの動く城1』 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著

言わずと知れたスタジオジブリのアニメーション映画『ハウルの動く城』の原作で、訳は西村醇子さんです。カバーの絵は佐竹美保さん。児童文学作品の表紙をよく描かれている方です。存じております。もうわたしなどはそれだけできゅんとしてしまうのですが、それはもう病気というか、そういう方は稀なので、あまりお気になさらず。

インガリーの国では、三人きょうだいの一番上の子はとってもついていないと大昔から決まっている。そんな国で生まれた帽子屋の跡取り娘、ソフィーは三人姉妹の長女だった。ふたりの妹の面倒を見ながら過ごしていたが、父親が急死してしまう。しかも三人の娘を学校へやるために父は多額の借金をしていた……。次女のレティ―はパン屋で奉公、末っ子マーサは魔女のもとで見習い修行、ソフィーは実家で見習いとして働き始める。毎日、毎日、帽子を作り続ける日々。毎日同じ昨日の続き。なんてつまらないんだろう。お祭りの日、妹に会いに出たソフィーは人混みに臆していたところを、派手だがさっそうとした若者に助けられた――

原作はこんな冒頭です。ジブリ版ではマーサはいませんでしたね。この最後のさっそうとした好青年がハウルなのですが、所見のときの正直な感想を言いますと「なんだこのチャラい男。ソフィー騙されるな」でした。第一印象は要警戒対象。ソフィーを「臆病な灰色ネズミちゃん」ですって! 動物にちゃんをつけて女性を呼ぶのはかなり限定的な状況でしか許されないと思っているのですが、この場合の森戸判定は思い切りアウト。出直してこい。戻って来るな。――と言っていると話が進まないので、苦虫を嚙み潰したような想いで読み進めます。なんだこいつ、うさんくさい。たとえわたしがそう思っていても、ソフィーはなんて上品なの! と彼にドキドキ。あぁ~騙されてる……真面目なソフィーが騙されてる……。

そんなこんなでまぁ妹たちにも色々あるのですが、ここでは割愛。

帽子を求めに来た荒地の魔女に老婆になる呪いをかけられてしまったソフィー。おばあちゃんになってからの方が、彼女はのびのびと生き始めます。抑圧されていた彼女本来の姿と、年寄りならではの押しの強さが相まって、とっても可愛い素敵なおばあちゃんなんです。

そうして魔法使いハウルの城で、彼と、火の悪魔カルシファー、弟子のマイケル、そして図々しくも乗り込んだソフィーおばあちゃんの奇妙な共同生活が始まりました。強引にハウルの城に住み着いたソフィー(もうこの時点でだいぶ強い)は、城の家事掃除を一手に担うハウスキーパー。ちなみに原作のマイケルは15歳。中世風の世界ですから、見習いとして働く大人の仲間入りをする年頃の男の子なんです。

徐々に絆を深めていくソフィーと住人たち。見えてくるのはいかにハウルがダメな男か……。えぇい、髪が緑になったくらいで絶望するな、女の子を振り向かせるまでが楽しみであとは知らんとか趣味が悪すぎる、悔い改めろ、ソフィーやマイケルに後始末させるな、挙げたらキリがありません。ただ、魔女に居場所が見つかってしまったからとお城を引っ越して、みんなで一緒にお花屋さんを営む場面があります。ここはソフィーの願いをハウルが聞いてくれる場面でもあって、後から思うに、すでに彼は彼女のことを大切に思っていたんだな、とハウルの評価を少し上向けるわけです。そういう場面がちょくちょくあるので、憎めないんです、この坊主は。

それにしてもマイケルの課題に出てくる呪文の謎かけが、実に海外児童文学らしいんです! イギリスの形而上学派詩人のジョン・ダンの詩『ソング』の第一連で、俺に教えてくれ、と波がさざめくように語り掛けてくるその詩は、最後の最後まで重要な役割にあるのです。映像化に向かないとはいえ削られているのが返す返すも口惜しい……。

実はわたし、ジブリ版を先に見ていたんです。でも原作を読んでから思い返すと……ジブリのハウルは普通にカッコいいんですよ。癖がないというか。記憶が遠いせいでしょうか。映画自体がドラマチックでダイナミックになっていたからでしょうか。まぁ、たぶん声をあてたキムタクにキャラクターを寄せたんだと思うんです。映画ではハウルがただの……ちょっとだけ残念なイケメンだった覚えがあります。原作では、ちょっとでは済みません。生活破綻者、臆病者、ナルシスト、そのくせ自分に自信はない、なんなんだこいつは。こう書くと、わたしが原作ハウルを嫌いなように見えるかもしれませんが、違います。映画ハウルより原作ハウルの方が好きです。最後まで読めば彼のダメさが愛おしくなってきます。最後まで読めば。もう、このひとは自分がいないとまるでダメという気分にさせるんですね。うーん、やっぱりソフィー騙されてない?

でも、そんなダメダメで見た目ばーっかり気にしてたナルシストが、身嗜みも何もかもほったらかして、本当は怖がりの臆病者なのに、たったひとり、ソフィーのために魔女と、その契約した悪魔と対決しようと言うんです。これで惚れなかったら、それこそ嘘だ。

ぼくたちって、これからいっしょに末永く幸せにくらすべきなんじゃない?

    ――あんたはわたしをこき使うんでしょ

   そうしたらぼくの服という服を切りきざんで、思い知らせておくれ

                           (ハウルとソフィー)

もー、好き。ずっとバカップルやっててください。

それでは皆さん、よいバレンタインを!

 

              ダイアナ・ウィン・ジョーンズ.

     魔法使いハウルと火の悪魔:ハウルの動く城.徳間書店,1997,312p.

                ISBN:4-19-860709-5

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