Why done it ?
――照応する。
すべての物事は照応する。
ロード・エルメロイⅡ世の事件簿
はい、ということで今回はアニメの方です。
昨年8月から縁あって新人マスターとなりまして、ゆっくり進行で幣カルデアは現在第6特異点キャメロットを攻略中でございます(今度、FGOほぼ初見のプレイレポも書きたいな~)。
そこで何を思ったか、いきなり『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』を観ようと思い立ち。
いやね、Fateシリーズってめちゃくちゃ多いじゃない。
どれから追っていいか分からないというか、どれから追ってもいいというか。
あれだけで一大ジャンルというか、ちょっと広大すぎるよねって。
元々、ステイナイトは観てたんですよ。
FGOも気になっていたし。ガチャが怖すぎてやってなかっただけで。
他のも観たいなぁなんてところで、なんとなーく雰囲気と設定は掴んでいたのでFGOのアニメの『絶対魔獣戦線バビロニア』を観まして。
いや、分かります。なんでそこから観たんだよ!?ってツッコミは。
でも観てしまったものはしかたない! 理屈じゃないんだよ!!
しっかしまたこれが凄まじい出来の良さで。
終始、劇場版かな?って感じのクオリティに、シナリオもエモーショナル。
好きすぎて終盤泣き通しでしたよ。
「ウルクは ここに健在です!」
もうダメだ……本当に……ここの藤丸は……このセリフは凄すぎる……
そして本当に王様……王様が好きだ……
シドゥリさんのところとか、エルキドゥのところとか、泣かずにはいられまいよ……
――はっ、いかん!
このままだとバビロニアに乗っ取られてしまうので、いい加減、軌道修正しましょう。
時計塔の君主
もともとミステリの雰囲気が好きなのもあって、Fateシリーズアニメの中でも気になっていたんです。
誰一人知らないけど~! がはは! なんてテンションで見始めたけど、オープニングがスタイリッシュで洒落てて期待が高まりました。
歌が入らない珍しい構成ですが、代わりに画面が惹きつけてくれているので全然気にならない。すごいことです。
途中で挟まる万華鏡のような画面は恐らく「合わせ鏡」でしょう。
第0話の初っ端で主人公であるエルメロイⅡ世が講釈している「照応」の概念が、アニメ14話もあってずっと通っているのが巧いし、こういうオープニングでも匂わせてくる演出が憎い。
主人公はウェイバー・ベルベットという男だけれど、今はほとんどその名前では呼ばれず、代わりに「ロード・エルメロイⅡ世」と名乗っている。
生徒たちからは「先生」「教授」と呼ばれ、弟子からは「師匠」と呼ばれ、義妹からは「義兄上」と呼ばれ、ちょっと他人行儀なところだと「ロード」と呼ばれる。
この距離感がそのまま呼び名に現れている感じ、すごくいい。
だけど、魔術師たちの陰謀渦巻く「時計塔」の君主(ロード)という立場を理解させるだけでも一苦労なのに、この呼称ぜんぶが同一人物だと知らしめることの大変さを考えると……ちょっとストップをかけたくなるような設定だと思います。
しかも前の聖杯戦争に参加し人生を変える出会い(王と戴く人)を得たことで、君主(ロード)という重荷を背負う数奇な運命に直面することになったなんて設定まであって、ここまでくると、ややこしいなんてどころの話じゃない。
それをこうまでスマートに出してくる……流石です。
特に前情報もなかったけどスッと入ってきたし、解釈に困ることもなかった。
ウェイバーとロード・エルメロイⅡ世のキャラクターには結構な隔たりがあるのに、それを地続きの人物としてもきっちり描いているのだから、脱帽します。
そして、この理解を大いに助けている要素が、声です。
間違いなく、声優さんの力です。
「ウェイバー」の名前は、かつての――無力な、それでいて無鉄砲なまでの無敵さを持った――青年を示すものであり、ともすればギャグチックにもなってしまう、落ち着きのない子どもっぽさが前面にあるキャラクター。
彼はきゃんきゃん吠える中性的な高い声が印象的ですが、一方で、彼が成長した姿である「ロード・エルメロイⅡ世」は落ち着いた低い声で滔々と生徒たちに語り掛けます。
端々に映る、長い手足を持て余すようにソファーへ身を投げる、その気だるげな様子や、勿体ぶった仕草で葉巻をふかす姿はまさに「カッコいい大人」そのもの。
しかし彼が根本的に変わったかと言えば答えは「NO」です。
彼はなるべくしてなった君主ではないし、未だ非力なままであるし、カッとなるし、シリアスもできるけど日常的な扱いはやっぱりギャグ寄りだし。
そうして一通りアニメを観て、思い返して、その巧さにため息がでました。
先述した第0話の講釈。
鏡、それに映し出された虚像。名前と照応する影。
それへ干渉することによって本質を書き換えようとする、力。
君主(ロード)の名を背負うことで、その名に相応しい振る舞いをする。本質はウェイバー・ベルベットという青年のまま、「ロードらしい」風格を身に着けていく。
どんどん、どんどん、変わっていったでしょう。
背が伸びて、髪が伸びて、身にまとう色や香りが、口調が、周囲が、変わっていって。
その変化はきっと、
――ウェイバー・ベルベットという青年の面影を覆い隠してしまうほどで。
名前が変わり、そのほとんどを「ロード・エルメロイⅡ世」として上書きされたように見えても、時折のぞかせる甲高い声が、感情の高ぶりが、彼の本質がまだ「ウェイバー・ベルベット」であることを知らしめる。
きっと書き換えられてもおかしくなかった。
実際に表面の多くは「ロード・エルメロイⅡ世」になっているのだから。
彼の本質がここまで変わらずにいられたのは、心に焼き付いた彼の王のおかげか、自称・親友のメルヴィンが「ウェイバー」と呼び続けたおかげか、その両方かは分からないけれど……嬉しかった。
彼があの本質を捨てた時は、彼の王に追いつく道を喪う時だと思うから。
大切なのは「Why done it」
個人的に『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』は雰囲気がミステリなだけで、ミステリではないと考えています。(だって、魔術の話だし……)
であれば謎解きを真正面からしようというのは無理があるというもの。
主人公であるロード・エルメロイⅡ世も、事あるごとに「Why done it」が肝要だと口にします。
魔術師相手では手法を問う「どうやって」など意味がない。
手法が分からねば「誰が」なんて絞り込めない。
――なら、「どうして」だけが謎を解くための鍵になる。
いや、いいですね。
主人公が「魔術の解体者」と称されるのも、いいですね。とてもいい。
正直に言ってロードはめちゃくちゃに弱いし、戦闘じゃヒロインポジションだし、へっぴり腰だし、内弟子のグレイがめちゃんこ強いから守られているし、教え子の方が才気にあふれているしでいいとこなしってくらいの立ち位置なんだけど、それで諦めないでいるところがまず素敵。
そして、普通なら意に介されないくらいの二流(三流)魔術師でしかないはずのロードが、神秘のベールを剝ぎ取りすべてを詳らかにしていく――魔術師にとって脅威になる――そんなの熱くないわけがない!
アニメの構成でいえば、第0話の巧みさを挙げたいですね。
たった1話で、骨子になる「照応」の概念や「見る」ことの魔術性(今回のテーマである魔眼への伏線)に触れた上で、ロード・エルメロイⅡ世の厳格さとウェイバー・ベルベットのコミカルさを表現し、見所となるアクションシーンを挟みつつ教え子の中でも双翼を担うフラットとスヴィンの特性をチラ見せして一件落着させるなんて、相当な離れ業ですよ。
とびきり理想的な1話目だと思います。
それからも順当におもしろかったんですが、いや、最終話。
ロード、急に羽目外してきたけどどうしたの?
あんまり色気が抑えられてないから、このアニメが急にジャンル変えして乙女ゲームになったのかと思いましたが。いや、びっくりした。グレイ、至近距離だったけど無事? うん、とりあえず無事そう。
ところでロードは基本的に未亡人っぽいと思うんだけど集団幻覚かな???
あと雑感なんですが。
FGOやってるとオルガマリーが出てきて元気な姿を見る(いや今回も可哀想だけど)だけで、ちょっと感無量というか。
グレイとの出会いや個性あふれる教え子たちも気になりますし、剝離城アドラとやらも気になります。
うん、小説をそろえる決意を固めました。
それからZero(ウェイバーが参加した聖杯戦争の話)も観ないと。キツそうだからメンタル整える必要がありそうだけど。うん。
とりあえず、そこまでできたら――あとは時間を確保するだけです!
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