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「もう大丈夫 何故ってーー」


今日も今日とて昨日の続き。ザクザクいきましょう!

以下、目次です。

⑥ メタ的関係性(役割)及び物語上の関係性の変遷

  >緑谷出久とオールマイト

  >緑谷出久と爆豪勝己

  >爆豪勝己と轟焦凍

  >エンデヴァーを添えて*考察、あるいは妄言

⑦ アニメ・映画等への所感


「次は 君だ」

⑥ メタ的関係性(役割)及び物語上の関係性の変遷

>1 緑谷出久とオールマイト

 言うまでもなく、この2人の出会いこそ物語の原点であり出発点。無力な主人公が憧れの人から力の継承者に選ばれるーーなんて、字面だけではともすれば陳腐にさえなってしまうほどの正道さ。

 メタ的関係性としては、「無個性」「個性を譲渡された(継承者)」という共通項を持ち、対立項として「天才/努力の人」「ユーモラス/ナンセンス」「退く者/継ぐ者」がある。初期に表立って見えるのは、圧倒的な天才・ナチュラルボーンヒーロー・オールマイトには似ても似つかなぬ非力で無力な主人公、という構図である。視覚的にも大柄な(=偉大さや安心感を表現する)オールマイトに対し、小柄な(=成長を示唆する)出久という対立構造となっている。このことから、このふたりは表面上は反対、本質(精神性=“ヒーロー”であること)は同一であるように計算されたキャラクターであることが分かる。

 おもしろいのは、ストーリーバランス的に「活動限界がある」というような条件付けによって調整をする必要があるほどの強さを誇るオールマイトと似ていないはずの出久が、形は異なるものの、彼と同じようにストーリー上その力をセーブをしなければならないということ。要するに、主人公として「成長していく」ためには、授かった強力な個性がそのまますぐ万全に使えてはならないのだ。万が一そのような展開になったらチートもいいとこ正直読者は置いてけぼりである。そうなったら話の舵きりはかなり難しくなる。そういった事情も含め、天才オールマイトにかかれば無敵の拳となったワン・フォー・オールは奇しくも、出久にとって使えば体を壊す諸刃の剣となってしまったわけだ。

 さて、物語も進み、オールマイトはある大きな転換期を迎える。作中で言う「神野の悪夢」ーーオールマイト引退の直接の原因となる戦いである。

 この「神野の悪夢」で明らかになったのは、影響を受けていたのは生徒だけではなかったということ。巨悪を前に、命を燃やすような死闘を繰り広げたとき彼の背を押したのは、無力だろうとボロボロになろうと誰かを救うため死力を尽くす教え子・緑谷出久の姿であったことが描かれている。

 常に「平和の象徴」たれと、苦しいときこそ笑えと自らを律してきたオールマイト。彼の美学がデクによって変化したことに感動を覚えずにはいられない。ヒーローとして散るなら本望だと思っていただろうオールマイトに、どれだけ泥臭くても生きるために足掻く決意させた緑谷出久という男、偉大すぎるな…(余談だけど、生きると決めたオールマイトに相澤先生が言ってくれたことが「ホントそれな(語彙力)」としか言いようがなくて。あなたが生きている、それだけでどれだけの人の希望になると思ってんのバカ! あなたはそれだけのことを、ずっと、ずっとしてきたんですよ! って声を大にして叫びたい!)

 確実に言えることのひとつに、オールマイトは緑谷出久のあったかもしれない未来の姿のひとつである、ということがある。そしてデクはオールマイトには決してならない。根幹を同じとするふたりは、同じ結末にはならないのだ。……たぶんね!

「負けた方がマシだなんてーー… 君が言うなよ!」

>2 緑谷出久と爆豪勝己

 言わずもがな幼馴染みコンビですが、彼らの関係性の変遷を思うと涙腺が決壊してしまう。変化と成長が眩しすぎて、瞬く間に大人になろうとするから寂しささえ感じます。情緒不安定か。

 爆豪勝己(以下「かっちゃん」とも呼ぶ)、今は好きなキャラクターを思い浮かべるとき真っ先に浮かぶくらいに好きではあるんだけど、別に最初はこんなに思い入れのあるキャラクターになるとは思ってなかった。体育祭で轟くんが一方的に出久にヘビーな家庭事情を話してるところへ居合わせるシーンでは「なぜ君がここにwww」と草原不可避ではあったんだけども。

 正反対のようで実は根っこが同じこのふたり、どれだけ目障りでもお互いの存在を意識せずにはいられないし、視界から外すことはできなくて、すごく息苦しかったろうなと思う。

 メタ的な視点から俯瞰すると、爆豪勝己とは、序盤主人公にとっての「高い壁」「成長を阻むもの」であり、同時に「ヒーローであることへ執着させた」存在であると言える。たぶん、かっちゃんがいなければ緑谷出久はヒーローになることをとっくに諦めていただろうとさえ思う。そうしたら、出久はオールマイトと出会うことも、彼の力の継承者になることもなかった。

 爆豪勝己という粗野で横暴だが圧倒的な力と一種のカリスマ性を持った少年が、そうした執着を出久に持たせ得たのは、物語が始まる前から彼らの関係が築かれていたからに他ならない。昔は仲の良かった幼馴染という複雑怪奇な関係性があったからこそ、ただの「高い壁」で終わらなかった。

 主人公であるからには緑谷出久のセリフはもちろん独白もそこそこ多い。にも関わらず、実は彼の本心は思いの外読者へ晒されていない。物語が進んでようやく、出久にとっての「かっちゃん」がどういった存在であるかも徐々に明らかになっていく。「身近な憧れ」であり「勝利の権化」であり、「越えたいと思う相手」でありーー実はこれ、一言でまとめてしまえる。その関係性を「ライバル」と言うーー最初は出久から一方的だったものが、真正面からぶつかり合ったことで不器用ながら双方向となり、ようやっと、ぎこちなくも正しくコミュニケーションを取り始めた。

 互いに相手を恐れていて、勝己はそれを出久に悟られまいと躍起になってなおさら非道く出久にあたった。出久は勝己が自分にそんな感情を抱いているとは露にも思わず、ただ距離ができた。でも歪にずっと一緒にいたもんだから、もう相手も自分のアイデンティティの一部みたいなもので、このふたりが一人の自立した人間として成長するには互いにぶつかり合う必要があった。ぶつかることで理解…まではできなくても、受け入れることができたのだと思う。受容があって初めて、人は恐れから解放される。このふたりの場合、互いの存在を受容することは己を見るめることとほぼ同義だっただろう。

 これだけ拗れても細い糸が切れなかったのは、きっと根っこ(=オールマイトへの憧れ)が同じだったからかな。ようやく、同じ方向を向けたね。

「視野を広げてやることくらいは俺たちもできるはずだ」

>3 爆豪勝己と轟焦凍

 メタ的役割としては、出久とかっちゃんの場合それぞれ成長する余地が「フィジカル/メンタル」と差別化されている一方で、轟くんとかっちゃんはどちらもフィジカルの伸び代は(ほぼ完成しているため)少なく、メンタル面での成長がメインになるという共通項がある。ついでに、その成長を促すのが緑谷出久である点も同じ(そう言えばイケメン設定なところも)。どう見ても意図的に割り振られたキャラクター構成だ。

 初期の爆豪勝己は、才能こそ飛び抜けていたものの幼稚さと言っていいほどの幼さ故の傲慢さを持つキャラクターだったが、敗北を知り、弱さを知り、喪失と獲得を繰り返して、プライドの高さはそのままに「強さ」を手にしようとしている。対する轟焦凍は…いや本当に思い返せば君もずいぶん丸くなったなぁ。父親を憎むあまり憎む父と同じようになってしまいそうだったところを、今、頑張って乗り越えようとしている。もう以前の憎しみと過去に飲まれた少年はどこにもいない。

 このふたりが仮免試験に落ちたのはある意味必然というか、メンタル面に課題を抱えるふたりだからこそ、そうなるよう綿密にシナリオが組まれていて、それに気づいた時は鳥肌が立ちましたね。すごいものを見ているぞ、と。

 関係性の変遷は、言うほどないかな。穏やかになったとは思うけど、それはそれだけ彼らが大人になったということ。もはや自然の成り行き。ちなみに授業で轟くんの方が負ける機会が多いのは単純に精神的なスタンスの違いだと思う。「勝ち」に拘るかっちゃんと、「強さとは…誰かを救うとは…ヒーローとは…」みたいな自分探しからしている轟くんとではスタートラインが違う。


「きっと 許せるように準備をしているんじゃないかな」

>4 エンデヴァーを添えて*考察、あるいは妄言

 ヒロアカを読んでいると本当に強い人というのは、弱さを知って、その弱さに寄り添える人なのだなと思います。そしてそれが「ヒーロー」なのだと。ただ強いだけではヒーローには、なれない。

 このことは「ヒーロー」のシンボル的存在であったオールマイトと、2位であり続けたエンデヴァーによく表れている。つまり、エンデヴァーはNo. 1の地位に立たされたその時まで本当の意味で「ヒーロー」ではなかったということ(逆説的に、だから彼はNo. 1になれなかった)。彼が真実No. 1にーー「ヒーロー」になるのは21巻「彼はなぜ立ち続けたのか」での始まりのスタンディングの時であり、18巻でオールマイトに「平和の象徴とは……何だ」と訊ねた時であったのだと。

 これは何故か。「ヒーローとは、ヴィランとは」という問いの答えに近くなるのではと愚考してしまうのだが…キーとなるのは「他者」ではないかと思う。ステイン編で投げられた賽は「他者のための献身」ヒーローたるもの、我欲に走ってはならないというもの。

26巻を読めばよくよく分かるのだけど、エンデヴァーは決して愚かでもなければ職業ヒーローとして欠けたる素養があるわけでもなかった。むしろ真面目でストイックとさえ言える努力の人。けれどオールマイトというアイコニックな存在への劣等感から嫉妬に眼が曇ってしまったのか、曇った眼は彼に「他者を救う」ことではなく「救ったことによる評価」へ主眼を置かせてしまった。これはイコールで、打倒オールマイトという我欲に走ったということ。ステインの言うところのヒーロー失格です。

 ここで、緑谷出久と爆豪勝己、オールマイトとエンデヴァーの話をしましょう。

 かっちゃんとエンデヴァーは非常に似通っていて「オールマイトとエンデヴァー」⇆「デクとかっちゃん」の構図となります。エンデヴァーは、無個性の出久がいなかったかっちゃん、あったかもしれない爆豪勝己の未来の姿。かっちゃんが高校生で迎えている成長を、エンデヴァーはオールマイトの引退によって周回遅れでようやく手にしたわけなんです。

 実は、このふたりにはもうひとつ類似性があって「エンデヴァー(轟炎司)と妻子」と「かっちゃんと出久」の構図なんだけれども、エンデヴァーとかっちゃんはそれぞれに背負う罪がある。かっちゃんが出久に対して悪いことをしたと思っているかどうかは定かではないけれど…エンデヴァーが家族と向き合うと決意したからには、かっちゃんの方にもどういう形であれ動きがあるでしょうね。

 ちなみに、エンデヴァーの息子である轟くんは案外、彼に似ていない。それはおそらく轟くんが「エンデヴァーとは違う存在」であることを念頭に造形されたキャラクターだからだろう。項目の上にあるセリフは26巻で出久が父親に複雑な思いを抱く轟くんへ言ったもので、非常に彼らしい思いやりに富んでいるセリフとなっている。わたしが冬美さんでも出久の手を握って感謝する。あなたが弟の友達になってくれてよかった、と。ただね、これ実は出久とかっちゃんのことでもあって……この時の表情を見るにかっちゃんにも思うところはありそうだし、出久も言わないだけで過去のことをわだかまりに思っているんだと、そういう二重三重に意味を含んだシーンなんですよね。


はい、文字増量でお送りしました。

堅苦しいのは今回で終わりでいよいよ明日が最終回!

さらに向こうへーーPlus Ultra!

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