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この願いはいつか必ずお前に届く


こんにちは。


鬼滅の刃アニメの2期、決まりましたね! というわけで、今日は創作強化月間とは別の記事になります。 いつものように長々した記事ですが、まぁ、お付き合い願います。

今日の作品

吾峠呼世晴先生の異例の大ヒット作『鬼滅の刃』

あまりの盛り上がりの異様さに穿っていた部分もありましたが、噂に違わず面白い作品でした。やはり人気にはきちんと訳がある。

ただどうしても、他作品と比較した時「鬼滅の刃だけが突出していたか?」という問いには首を傾げざるを得なかった。

もちろん、このブームは時勢情勢宣伝など諸々の条件が重なった結果であることは疑いようがありません。たとえば、コロナ禍のステイホーム時期にアニメが放送していたこと、Netflix・プライムビデオ・U-NEXTなどのオンライン動画配信サービスが充実し一般に普及していたこと、掲載誌が最大手「週刊少年ジャンプ」だったこと=発信力と地力のある出版社だったこと……こういった社会情勢の面だけでも多数の要素が絡み合った結果と言えます。

同時に、宮崎駿監督作品(いわゆるスタジオジブリの作品)や、新海誠監督の『君の名は。』や『天気の子』のヒットを考えても、大ヒット作に必要な条件は「普段アニメを見ない人たちに受け入れられるか」であると考えられます。これはプロモーションやテレビでの取り上げられ方に顕著です。鬼滅の刃は文句のつけようもなくこの条件を満たした作品であると言えるでしょう。

なぜ、鬼滅の刃は受け入れられた?

答えは「分かりやすさ=平易さ」にあると思います。

これは随所で散々言われてきたことなので人によっては聞き飽きたかも知れません。でも、簡潔にまとめるとそういう言葉になってしまうのです。

鬼滅の刃の「分かりやすさ」は目標の明確さ、生きるか死ぬかのストーリーラインの実直さはもちろんのこと、一番はモノローグによく表れていると思います(アニメ版だとよりよく分かる)。

登場人物たちの心情は読者に対して非常にオープンです。苦しんでいることも、悲しんでいることも、包み隠さずダイレクトにありのまま曝け出してくれている。これはちょっと他では見ないほど。漫画において絵で表現できる部分は文章を入れてしまうのは絵の邪魔であり無粋であるという考えがあるからです。言葉にしないことよって解釈に幅が生まれ、言葉にすることで失われていくものを繋ぎ止めることができます。

つまり「表現」に対する熱意の表れが「言葉にしない」描写になるわけですが、これには読み手にある程度の素養が必要になります。下地と言い換えてもいい。どちらかと言えば小説の「行間を読む」素養に近しいものだと思います。

しかし、いきなりこれをやれというのは大変キビしい。

読書を趣味にしている人の間では「当然」のことでも、その他の趣味全般を合わせたら読書好きなんてごく一部でしかありません。あれはいいこれはいいと「界隈」で話題になってもお昼のニュースで取り上げられないのはそういうことです。

また、分かりやすいというのはまだ語彙も少ない年齢の子どもたちにも易しいということにもつながります。連日テレビで報じられているように、鬼滅の刃のヒットには幼稚園保育園の子どもたちからの厚い支持も欠かせないものでした。

子どもが好きになれば親や祖父母も見る、親が見れば同僚も見る、若い世代で流行れば上司も見る……こうした積み重ねの先に、メインターゲットである若年層のみならず社会現象とも言える規模のヒット作が生まれ得るんだなぁと思います。

追記:「分かりやすい」とは言いましたが、ではなぜそれで今までたくさんの名作に触れてきたであろう人々の心までをも掴んだのか?とまた考え込んでしまいまして。それでもすべてがギチギチに描かれ切っていない、想像の余地があること(これは脇道エピソードが少ないことにも起因していると思いますが ※森戸はファンブックなどは読んでおりません)と、表層上の見晴らしの良さとがちょうど良い塩梅で共存しているからなのかも……と。うん、共存できるんですよ。深さと、分かりやすさって。児童文学とかと似てるのかも? 幼い頃に読んだものを時間が経ってから読み返すとまた違う景色が見えてきますよね。

あとは単純に巻を重ねるごとに表現も言葉で明言することが減ったように感じます。胡蝶しのぶが上弦の弍と戦った時のカナエの物言いとか。あのシーン、明るくて底抜けに優しい人だと徹底して描かれてきたカナエの厳しい姿がすごく印象的ですよね。大好きなシーンです。


鬼滅の刃の魅力

少しばかり自分のことを語らせてもらいますと、わたしは普段、複雑かつ綿密に練られたストーリーラインに惚れ惚れするタイプの読者で、その全体像が見えた時の模様が美しいほどに作品に惚れ込む性質です。それとは別の軸において「覚悟」や「品」のある作品を好きになる傾向があると自認しています。この二つが合わさった作品に出会った時の嬉しさと言ったら! そうした作品はまず間違いなく人生のベスト作品賞にノミネートされます。

つまり何が言いたいかというと『鬼滅の刃』には、美しい覚悟はあれどストーリーラインに特筆すべき点(ただ「普通だったらこうする(個々人が持っている物語上の常識)」が結構適用されないのでそれがオリジナリティとも言えるが)のない、わたしにとって「最高!」と叫ぶような作品ではないはずだったということです。

けれど確かに『鬼滅の刃』はわたしの胸を打ち、涙なしに読み終えることはできなかったという事実があります。

「何がこんなにも心を掴むのだろう」

しばしの間、わたしの頭の中はそのことで占められていました。そして自分なりの解を得ました。

これは、吾峠先生の「願い」なんだと。

その願いの切実さ、誠実さが胸を打ったのだと。

『鬼滅の刃』は非常にメッセージ性の強い作品です。ただただ大切な人の幸せを願う、そのために戦う話だった。この作品において、理屈で詰めた常識や物語性や面白さは、すべて蛇足にしかならず、もしそうしてしまったら『鬼滅の刃』は死んでしまう。だからこの作品はこの形こそが正解だったんだと思いました。

だからこその魅力で、無二の作品なのでしょう。

作品メッセージ

鬼殺隊に所属するほとんどの隊員は鬼によって普通の幸福を奪われた人たちです。だからこそ彼らは願うのです。「もう自分と同じ思いする人を出さない」「鬼(=理不尽)に脅かされることのない未来を」と。失われた過去の幸福を嘆くのではなく、自分ではない誰かのための未来を、来るともしれぬ明日を強く望む。

それはなんて、優しく強い悲願なんでしょう。

この作品のメッセージはシンブルで「あなたはかけがえのない人」「あなたの未来が幸せでありますように」ただそれだけ。それだけのことが、こんなにも、嬉しい。

それにバンバン人死にが出るから忘れがちになりますが、基本優しい話ですよね。作中時間軸で死ぬ人たちには強く信じられる仲間、願いを託せる人がいるから、決して非業の死にはならない。いつかいつか、いつの日か、この悲願が達せられるだろうと知っているから、敗北ではないのだと。

「幸せとは何か」については作中で禰豆子と無一郎が言及しています。

◇11巻/禰豆子

「貧しかったら不幸なの? 綺麗な着物が着れなかったら可哀想なの?」

「幸せかどうかは自分で決める」

◇21巻/無一郎

「僕が何の為に生まれたかなんて そんなの自分でちゃんとわかってるよ」

「僕は幸せになる為に生まれてきたんだ」

描写される場面はそれぞれが大切だと思う人たちと笑い合った思い出。裕福に生まれなくても、死に別れてしまっても、それでも幸せでしたと、そのために生まれてきたのだと、力強く言い切る姿は頼もしい。

個人的には最終巻の最後の総括部分の無一郎がクリティカルヒットでしたね……あとは義勇さんと伊黒さんと甘露寺さん……

たくさんの、本当に数え切れないほどたくさんの人たちの命を賭して、あの23巻の最終戦に持ち込んだんです。無駄死にと呼ばれるような人もいたでしょう。でも『鬼滅の刃』は、それを否定する。無駄な死など一つもなかったと。すべての人が繋いだ未来だと、誰一人欠けても辿り着かなかったのだと言い切った。

あれは登場人物たちへの言葉でもあり、同時に読者への言葉でもあると感じました。だからこそ胸が熱くなったんです。まだ年若い人たちに伝えるに相応しい、優しくて大切なメッセージ。ひとり挫けそうな時に、きっと支えになってくれる言葉。

あなたはかけがえのない人です、尊い人です、と。


最後に

少しだけ脳直な感想も。

読んでて一番ギョッとしたのは炭治郎の距離の詰めかたで、いつの間にかサラッと富岡さん→義勇さんにシフトチェンジしてて腰抜かしました。なんなんだそのインドアには怖すぎるコミュ強具合……

それで、なんだかんだ言いつつ一番好きなキャラクターはしのぶさん。彼女の悲痛なまでの覚悟が好きなんですよね。一番腹が決まっててかっこいい。それでいてその覚悟を他人にまで求めない優しさ。恨みで曇らない理性と客観性。完璧すぎてホントに10代なのかしらと思わずにはいられません。が、彼女が姉を喪って変わった姿を見て心を痛めた人も多いだろうなとも、思います。鬼殺隊、なんだかんだ優しい人ばっかりだから……(森戸の涙腺に一番ダメージを入れたのは幕間の遺書です)

でも優しいからこそ、それに言及もしないで受け入れたのでしょう。どうせ皆、同じ傷を持った者なのです。そして鬼殺に属するからには傷を舐め合うことを選ばなかったのです。それだけの覚悟と強さを持った相手に敬意でもって接する道理はあっても同情など言語道断でしょう。

……ただ、守りたいと願った「幸せ」がまた一つ失われたことに対する哀しみは、癒えないでしょうけれど。

それでも、出会いは幸福です。

少なくともわたしはこの作品との出会いに感謝します。

これからこの作品と出会うあなたにとっても、そうであることを願います。



本当の最後に、頑張って描いたしのぶさん。

下のお花はコルチカム。気になった方は花言葉で検索してみてください。


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